FED10 (Industar 10)
ФЭД 1:3.5 F=50MM
…と表示されているだけです。
3群4枚構成
絞り 3.5 4 5.6 8 11 16
絞り羽根 8枚
距離表示 M
製造番号は書かれていないが、マウントリングの裏に書かれている数字は「293 6」
レンズのどこにも「10」という数字は書かれていませんが、FED10 または Industar10と呼ばれています。
ロシアカメラ、FED1のカメラ本体は、1934年から第二次大戦をはさんで1955年まで作られましたが、その標準レンズがこのFED10です。戦前タイプは大陸絞りでノンコーティング、戦後はコーティングされて倍数系列絞りになっています。
形はライツのElmarにそっくりですが、中身はTessarそのままです。鏡胴の長さは Elmar 33mmに対して、FED 30mm。絞り羽根はElmarはレンズの前方に、FEDはレンズ中程にという違いがあります。
Tessar 50/2.8
表示 ft m
最短撮影距離 0.35m
絞り羽根 5枚
絞り 2.8~22
オート絞りですが手持ちでレバーを固定することでプリセットもできます。
左の50/2.8は一般に「ゼブラ」といわれる当時流行ったデザインです。
Tessar 50/3.5
表示 m
最短撮影距離 0.5m
絞り 3.5~16
マニュアル絞り
Tessarの文字の前のマークは東独時代、VEB(VolksEigeneBetriebe人民公社)の頃のCarl Zeissに付いているマークです。
Tの字は「T-Coating」をほどこしてある印。1936年にZeissが発明した反射防止膜の略。現在は「
T*」(ティー・スター)になっています。
このレンズは、ドイツのイエナ市にあったカールツァイス社の技師パウル・ルドルフ(Paul Rudolph 1858~1935)と、彼の助手エルンスト・ヴァンデルスレブ(1879~1963 Ernst Wandersleb)によって1903年に開発された名レンズで、当時無収差と言われていた3枚レンズのトリプレット型の後玉を、2枚張り合わせたレンズに変えることによって3群4枚としたものです。これによって均質性、コントラスト、特に切れ味のシャープさが優れていたため鷹の目テッサーと言われました。
ギリシャ語で1・2・3・4・5は、エナ・ディオ・トゥリア・テッセラ・ペンデとなりますが、レンズの枚数が4枚というところからギリシャ語の4=テッセラからTessarと名付けられたそうです。
Tessarは1903年の発明から1世紀以上経て、ずっと前に特許が切れている現代にもまだ生産されています。レンズ枚数が少ないのでコンパクトデジカメによく使われるようです。ライカの標準レンズ、Elmar 50mmF3.5もこのテッサー型ですし、フォクトレンダーやオリンパスのZuikoなどにもコピーされました。おそらくカメラレンズのなかでは最も製作本数が多いでしょう。
ちなみに現在のソニー製CyberShotに搭載されているバリオ・テッサーは5群7枚構成で、バリオ・ゾナーもふくめて単焦点レンズのテッサーやゾナーとは無関係です。
(2.8はeBayで4174円、3.8はヤフオク PrakticaFX本体ともで7268円)
レンズ構成 3群4枚
絞り羽根 13枚
最小絞り 22
最短撮影距離 5feet 距離表示は feet のみ
フィルター径 シリーズⅦ 48mm 49mmもOK
最大径 56mm ∞時最大長 105mm
「
Canon camera museum 」 にある Serenar 135mm F3.5 I と同じ仕様のレンズだと思いますが、「Canon camera museum」 にはこの名前のレンズは載せられていませんでした。
SerenarではなくCANON LENS銘、feet表示などから1955年から1958年頃に海外向けに作られた製品でしょうか。
フード、フィルター、キャップの取付け方が面白い(当時、多くのものはこうなっていました)。
フードには…SERIES VⅡ CANON LENS 135mm f:3.5 Canon Japan
フィルター…Walz SERIES VⅡ W.Y1
フード取り付けリング…SERIES VⅡ 48mm Canon Japan
と刻印されています。フィルターにはネジがなく、フードと取り付けリングのあいだに填め込んであるだけです。49mmのネジのある普通のフードも填め込むことができます。
右はフードをセットした状態。
フードを使わない時には、このようにフードを反対にして鏡胴にセットし、そのまま撮影することもできますが、絞りの数値がフードに隠れて分からなくなります。現在の花形フードの格納の仕方と同じですね。
キャップはレンズの鏡胴に直接付けることはできません。上の写真の格納状態にしたあと、ネジ込むことによってキャップをします。
M42マウントではありませんから番外として掲載。
WOLLENSAK 2INCH(50MM) f/2.8 @ VELOSTIGMAT No.627×××
と表示されています。(@ではなく、○の中にMの字です…活字がないので)
絞り 2.8 4 5.6 8 11 16 22
絞り羽根 9枚
径は41mm。M42マウントのボディには、最短にしてかろうじてねじ込みできますが要注意です。フランジバックの違いでピントリングを動かすことはできませんから、当然マクロ撮影専門になります。
こってりとした昔風の描写がかえって新鮮に感じられます(私だけでしょうか)。
以下このブログの 「コピーライカ 外国 CLARUS MS-35 (アメリカ)」 から再掲。
Wollensakは1899年から1972年まで続いた光学レンズとシャッターの会社で、五大湖沿岸のニューヨーク州ロチェスターにありました。ロチェスター近辺にはKodak(創始者のGeorge Eastman Houseが公開されています)や、その他ElgeetやGraflexなどのカメラ会社がありました。
第二次大戦後の物資不足の頃には、Velostigmat 127/4.5というレンズをN.Y.ライカに供給していたこともあります。Wollensak Rapterも有名なレンズです。おむすび形で有名なBolseyのカメラはレンズ、シャッターともこの会社の製品です。